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落合陽一講演「デジタルネイチャー」

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本日はTOKYO FMの未来授業に出席しました。それもこれも全てある人の講演を聞くために半蔵門まで行ってきましたw

 

デジタルネイチャーにおける生き方<落合陽一>

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いわゆる第四次産業時代における幸福論を主題としたこの講義。メディアアーティストと言われるその視点から人間のあり方を講演していました。

 

 

 

落合陽一「デジタルネイチャーの生き方」。メディアアーティストとして、メディアとコンテンツの境界線をなくす研究をしています。

例えば、映画の監督なら普通映画を撮るけど、映画館を作っても面白いじゃないかというのが持論。

 

コンピューターと人間のつながりかた

人間とコンピューターの繋がり方というのは大きく変容してきています。人間という文字は人と人の間という字を書くけど、半世紀前は人と人の間にはテレビがあって、今は完全にインターネットになってしまっている。

TwitterFaceBookでメッセージのやりとりを行うのも人と人の間にはインターネットがあるからできることです。

これだけインターネットやコンピュータが浸透した世の中ならそれを利用できるのではないかということでVRを使って人をコントロールするという研究も行っている。実際VRには現実は少し変更を加えたものを映し出して人の動きを制御するなんてこともやっている。

 

コンピューターに制御される世界は怖い?

こうやってコンピューターに制御されることは怖いという意見があるが、それは間違えで、人間とコンピューターは制御する側、される側でなくて統一的に記述されるものとなるらしい。こうやってスマホを使ってブログを更新することも制御されているという感覚はないだろう。逆にもしなくなったら人って死んでしまうんじゃないかと思う。

そうやって人間とコンピューターが統一されていく世の中が出来上がっていくと予想しているらしい。また、人間と機械の違いなんてほとんどなくて、五感<センサー>筋肉<アクチュエータディスプレイ>脳<プロセッサ>くらいの違い。

今後はこれらのいいとこ取りをしていけばいいし、人間の性格やその体ものちに知らない間デジタル化される世の中になるだろう。

そうなった時に自分を動かしているのは生物学的な人間なのか機械的な人間なのか区別がつかなくなる。例えばミトコンドリアという細胞の中にある器官は自分とは違う遺伝子を持っていることから昔は別々の生物だったと考えられる。

その生物を取り込んで人は生きているわけだけど、それは結局ミトコンドリアを人が動かしているのかミトコンドリアが人を動かしているのかわからない。

そもそもそんな風に考えないのが機械でも自然になるだろう、それがデジタルネイチャーと言われる世の中だという。

 

人間に生物学的な意味を見いだせない

落合氏いわく人間が人間であることの生物学的意味は無くなっていくだろうと言われる。それは上記した通り人間をもしデジタルにすぐにでも統一できたらそれは機械に全て働かせればいいからである。また、心の部分に関して言えば、心や性格は機能ではなくプログラミングやアルゴリズムとして記述できるのだという。

 

人間は淘汰される

今回の講演で落合氏は人間の存在を否定的立場で講演をした。それも人間はたかだか80年ほどの生物であることに対してインターネットの寿命というのは10億年ほどであると予測するからだ。そんな人間のことは長い月日をかけてゆっくり減らしていくだろうと言われている。

 

機械で人間の代用はできるか?

この問いに関して言えば様々な立ち位置が取れるが、そこに賛成はできないのが落合氏。ロボットならば代用はできるだろうが必要ない時も少なからず出てくるだろう。その時に物理的制約を受ける面からVRなどでの実質の代用を提案した。

 

 

最後は記念撮影

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最後は全員と一人ひとり撮影をしてくれた親切な人だった。でも主食がグミであることからかガリガリだった。そして頭はやはり良かった。